2015年3月8日日曜日

anonymous



anonymous(匿名)な物が好きです。

そこに“古いもの”が足されれば、ほぼ完璧で、古着屋さんに赴いては
“見知らぬ誰か”が作った子供のキーホルダー、とか、“見知らぬ誰か”の家族写真など、縁もゆかりもへったくれもないくせに、見つけては高揚して持ち帰ってしまいます。

それらは今、私の趣味の小箱に大事に収められているけれど、元々持っていた人たちやその家族にとっては、とっておきの物であったに違いないし、名声や知識を排したその隙間に“人の生活はクリエイティブ”なのだと最高に感じる。

なので、その人の暮らしを覗き込んでしまう背徳性は味わいつつも、市井の人たちの日々の瞬発的なフィーリングを垣間みる見る事ができるから、「なんでやらんの?」と人様から言及を受けて最近始めたinstagramがめちゃ面白い。

音楽に関しては、“アノニマス・ミュージック”という言葉もあり、そこにはカテゴライズしきれないような、あまりにも生活臭を感じさせるものから、後天的に発掘されたもの、例えばドイツのUrsula Bogner(注*you tube)なんかも、Faitiche Labelのオーナー、Jan Jelinekが見いだす事がなければここに集約されていたのだと思う。
ちょっとこのUrsula Bognerが面白い人なので少し。。。

Ursula Bogner

昼間は製薬会社でまじめに働き、家に帰れば良き妻であり良き母。
愉しみは趣味の電子音楽。
社会的な事や家庭の事をキッチリとこなした素晴らしい女性でありながら、夜な夜な部屋にこもり音源制作に没頭。その白熱した好奇心により蓄積機なども自ら作ってしまう“実験”とも称せそうな数々のワークを残しているが、生涯この事を他言したりする事はしなかった。

どこにでもある家庭に見えて、奥様は電子音楽マニア。その趣味を公言する事もなく、密に、というより、広義の“シーン”には頓着せず、みんなが寝静まった夜に、純粋にひたすら趣味に打ち込むなんて、なんて素敵な事なんだろうか。
今後、なにかの媒体で彼女の記事を見る事はないかもしれないけど、亡くなってから発見された彼女の大切な音源達はとても素晴らしい。エクスペリメンタル、エレクトロ周辺がお好きな方は是非。


反して右は“アイコニック”な存在になってしまったPeter Dohertyの日記、というかコラージュ。イギリスで一緒させてもらったデザイナーさんが「なんか好きそうやし引っ越しするときに重いから。」と譲ってくれた。殴り書かれた文章やドローイングはボロボロで、センシティブでピュアな狂気がはっきりと浮かんでる。「バランスよく。バランスが大事。」と世の中で聞かない日はないくらいだけど、みんなその均衡はどうやって保っているのだろう。努力だけでは事足りない事が多い中で、よく考えてみる。

左はずっと探していたけど見つからない、と思っていたイギリスのスーパーのトマトをいれる紙袋。毎日スーパーに行ってこんな可愛い袋だったら、疲れも少し和らぐのになぁ、と思うので、デザインはとても重要です。

紙ものといえば、人の手の皮脂が染みているんだろうけど古本はグラフィックも含め大好きです。本の記述は書くと長くなるので、また別日に。

大きい声に埋もれてしまいがちだけど、名もなき人が今も世界中のどっかで何かを創造しているんだよなぁ、と想像(ダジャレっぽい語呂)すると胸熱。
自分がZINEという媒体や行為を大切にしているのはその一貫だと思うわけなのです。


で、前回のこれですが、全然メールが来ません。“全然”というには失礼な人たちに協力してもらっているのだけど。まぁ、流れに任せ仕上げる事にします。

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